FUTURE HABITAT PROJECT 2023 @宮城県丸森町

2021年から活動が始まったFuture Habitat Project。今回、宮城県丸森町へ4度目となる訪問を行った。

 新幹線にて仙台駅へ降り立ち、車で丸森町へ向かう。今回から新しい学部生のメンバーも合流し、10名での訪問となった。 

●意見交換会@不動尊クラインガルデン

 丸森町のシンボル、斎理屋敷前の八雄館にてお昼ご飯を買い、柴原さんが部屋を借りていらっしゃる不動尊クラインガルデンへ向かった。今回もお世話になっている丸森町の宍戸さんと鈴木さんにご協力いただき、研究室にて作成している丸森町の年表をもとに意見交換会を行った。今回は、丸森町役場からも2名の方に参加していただき、住民と行政、両者を交えて意見交換を行う貴重な機会となった。

今回の年表では、丸森町の歴史を写真のコラージュにして表現することを試みた。古い丸森町の写真など、Sさんをはじめ多くのご協力をいただいた。今回もたくさんの古い写真や郷土史の資料をお持ちいただき、嬉しそうに写真の説明をしてくださる姿に丸森町への愛を感じた。役場の方々からも、防災ステーションの活用方法など今後の丸森町のビジョンをお伺いすることができた。

 災害を起点に調査を始めた丸森町であるが、明治以降の歴史を詳しく見ていくと感じるのは時代とともに生きる町の作られ方である。斎藤理助をはじめとして、江戸時代から栄えてきた養蚕や農業、製炭の歴史が高度経済成長や戦争、日本列島改造計画によって反映や衰退を繰り返していく。近年の人口減少・高齢化により、丸森町は新たにまるもりらしさを考えなければならない。丸森町に古くから住む人も新たに住む人も安心して暮らすことのできるまちづくりを考える上で我々のリサーチが一つ手がかりになればと思う。

 不動尊クラインガルデンをあとにして、我々は2手に別れ、丸森町の現況の視察を行った。

●復興の現況視察へ

夕方には年表作成用の写真を撮るため、堤防工事現場や建設中の防災センター、町営住宅などを中心に車で丸森町を巡った。まず向かったのは4年前の台風19号により氾濫した五福谷川である。街よりも上流のこの地点では、もし大量の土砂が流れてきても一気に街の中まで流れ込まないよう、それを一時的に受け止める遊砂地をつくるため流域を広げたり水が溜まる深い穴を掘るなどの工事が進められていた。たくさんの重機が並び、土砂崩れや瓦礫が生々しく残る中、古い住宅も川沿いにいくつか見られた。

上流の方に向かう途中、五福谷川沿いに工場をもつという方から声をかけられた。上流の方もかなり道を整備したがまだ狭い箇所が多く、進むのは厳しいとのことだった。川が氾濫した日にはその方の工場も浸水や土砂の被害に遭い、今年の11月までは今の場所に留まるが、以降は遊砂地整備のため工場を解体することとなっているようだ。街を守るため、長年過ごした工場を手放すということを決意したその方の表情や言葉から滲む無念さは想像に難くない。 

その後川沿いを下流に進み、新川付近の飯泉町営住宅に向かった。外でプールを広げて遊ぶ子供を見守るお母さんにお話を伺うと、水害により昔から住んでいた家が被害を受けたため、解体後に役場が用意した住宅に住んでいるという。家の住所も近所の住民も変わらないため、コミュニティは維持されているようだった。

ここに限らず被災後建設された町営住宅の周辺には、都市公園法に従い小規模な公園が設置されており、子どもたちの遊ぶ姿も見られた。しかしその新しさや遊具の鮮やかな色が周辺に残る古い住宅とのギャップを際立たせているようにも感じた。

 ●ヒュッテモモへ

 ヒュッテモモは、Hさんが始めたゲストハウスである。大内地区に位置し、農業体験や里山体験など丸森への移住希望者のお試しステイの場所としても活躍している。大内地区が集団営農によって守る田んぼのきれいな景色の中でゆっくりと過ごすことのできるおすすめのスポットだ。女将さんは、8年ほど前に丸森町を最初に訪れ、他の地域での暮らしもした後、最終的に丸森への移住を決めたという。地域おこし協力隊として、丸森の移住支援に携わる中で、丸森のことを知ってもらい、丸森の人のことを好きになって一緒に過ごしてもらえる人が移住してきやすい土台作りの重要性を語っていたのが印象的であった。

 ●まるもりホステル

今回宿泊したまるもりホステルは筆甫地区に位置し、三重県から移住してきたNさんが築120年の茅葺屋根の家を改装して昨年5月にオープンしたゲストハウスだ。屋外サウナ小屋や屋根裏シアタールーム、囲炉裏など、非日常感を味わいながらのんびりと過ごすことができた。中村さんは2年前に丸森に移住してきたため災害は経験していないが、台風や震災を経て団結した町の人々の姿に惹かれ、移住から3年の間は地域おこし協力隊としても活動している。移住者に対しては住民も行政側もオープンであり、提案や起業を熱量を持って後押ししてくれるため、溶け込みやすいと話していた。

朝には、丸森カフェの方(同じく移住者)が朝食を用意してくださっていた。丸森の食材をふんだんに用いた料理は身体にやさしく、人々のあたたかさを感じるとともに、宿泊を通して、こうして移住者たちが自らつながり、少しでも多くの人に丸森町の魅力を知ってもらいたいという強い意思も感じた。

 まるもりホステルにてBBQやサウナを楽しんだのち、2日目は地域の方へのヒヤリングと各地のドローン撮影に向かった。

●じゅーぴたっ 

 移住や定住を支援するじゅーぴたっの方からは、運営方法や役場や住民との関係性、災害前後の移住者の推移などに関するお話を伺った。災害後町の復興を目的として起業を希望する移住者は増えたのかという質問に対しては、人数はあまり変わらないが自分たちの意識が変わったとおっしゃっていた。整備が進んでいるとはいえ、いつ災害が起きるかもわからないし、都市部から離れた田舎で経営的にも気力的にもいつまで続けていられるか確信が持てないからだという。そのため、これまでは来るもの拒まずの姿勢であったが、きちんとリスクや田舎暮らしの厳しさを提示し相手の本気度も確かめることを意識的に行うようになったそうだ。町に直接触れるのは移住者側だが、町への入口として丸森と移住希望者の未来を守る責任感や使命感がお二人のお話からは伝わってきた。

 ●羽山の里

 ヒュッテモモの方のご紹介で、大内地区の集団営農を行うYさんにもお話を伺うことができた。高齢化が進む中で、地方自治体の抱える放棄耕作地の問題は増え続けている。大内地区でも、高齢化が進み、一家が一つの畑を管理することが難しくなってきたそうである。また、近年の農具の工業化も個人で所有するには難しい値段となり共同で所有し、管理する方法を考えたという。青々とした綺麗な大内の景観はこれらの努力により守られているのである。

●阿武隈川ライン下り

 夕方には阿武隈川ライン下りにも乗船した。江戸時代から丸森町では舟が身近な存在であった。江戸城に向けた御城米の輸送のための小鵜飼舟から商人のための高瀬舟、林業の木材を運ぶ舟運事業そして観光の要としての阿武隈川ライン下りと舟とともに時代を流れてきた。穏やかな川の流れがこの土地の暖かさを映し出しているように感じた。

 その反面、東日本台風の話を聞くとこの川の印象は大きく変わる。水量の少ない水面から見上げる国道は非常に高い位置にあるように感じる。しかし、東日本台風時にはそこまで水面が上がったそうだ。改めてあの災害の大きさを感じる体験であった。

8か月前