FUTURE HABITAT PROJECT 2024 @愛媛県松山市+宇和島市

2021年から活動が始まったFuture Habitat Project。災害多発地域におけるこれからの住まいを検討するという観点から、国内外での調査を継続してきた。これまで4度にわたり訪れた丸森市における調査は、制作した年表などを用いて町の人々と災害の記憶を共有し、また今年度は日本建築学会のコモンズの再構築をテーマとした設計競技にも取り組むなど、一つの節目となった。

こうした過程を経て今年度は、異なる災害地において互いの知見を学びあい、また広く共感できる形で発信する方法を模索すべく、2019年の西日本豪雨で大きな被害を受けた愛媛県松山市、宇和島市を訪問した。今回の調査では他プロジェクトのメンバーも参加し、8名での訪問となった。

●水害危険区域で増加する新興住宅地

 松山市へ着目するきっかけとなったのは、「大きな被害を受けた松山市において、浸水リスク区域に子育て世帯の居住者が豪雨の前よりも増加している」という記事であった。6年前の西日本豪雨では川の氾濫や土砂災害などが相次ぎ、建物の被害は6600棟余りにのぼった。甚大な被害を受けたことで浸水リスクのある区域の人口は県全体では減少していた一方で、松山市ではスーパーやドラッグストアが近くに立地しているほか、自動車専用道路が開通したこと、また市内中心部からのアクセスが良いなどの理由から、若い子育て世代を中心に住民が増えているという現状があった。こうした住民は、リスクを認識しつつも、利便性が高く住みやすいという理由から、あえてその場所を選択しているのである。災害後のこうした宅地開発の現状は、地方都市における中心部へのインフラ機能の集中、建築コストの高騰といった都市や建築を取り巻く問題、また低収入や社会福祉制度の未整備といった社会問題など、現代社会を取り巻くさまざまな問題に起因する。そうした宅地開発の現状、また災害後の行政の住宅支援制度などのリサーチなどをプロジェクトの参加メンバーで共有したうえで、今回の現地調査では、7月の豪雨による松山城周辺での土砂崩落箇所の見学、また被災したみかん農家の方からのインタビューなどを行った。

●松山城 崩落箇所の見学

 飛行機で松山空港へ向かい、到着後すぐに松山城へと向かった。雨が降り、閉業間際だったこともあり、城周辺の人気は少なかった。ロープウェイの中から城を囲む斜面一面に広がる木々を見ていると、数秒間だけ一帯が鮮やかな緑色のシートで覆われた箇所が見えた。ここから麓まで約300m、崩落した土砂や木々の多さ、またこの災害がどれほど大きいものであったのかを、その一瞬で実感した。

山頂からは街を一望することができた。あいにくの天気ではあったが、山に囲まれ霧がかった風景からは、豊かな自然と長い歴史の重みが感じられた。

しばらく見学したあと麓に下り、崩落箇所へと向かった。現場は復旧工事の最中で、作業車が停まり、土嚢がいくつも積まれていた。

周辺を見学していると、崩落箇所の最前線で営業再開に向けて準備をしていた日本料理店の店主の方にお話を伺うことができた。

土砂崩れがあったのは梅雨の最中7月12日。そのころ、前年の夏の雨で被害を受けた城周辺の擁壁や道路の補修工事を行っていた。店主さんによると、連日雨が降り続いたが、その日は少し治まり降水量は200ミリに達していなかったという。災害後、麓に住む住民たちは何度も人災を主張したが、行政側はこのことを自然災害として収めようとした。またお話を伺った時点では、被害を受けた箇所の補修や再建にかかる費用はほとんど自費となっており、店主さんをはじめ、被災した住民たちの訝しげな様子がうかがえた。こうした文化財の保護と工事、災害対応のせめぎ合い、また被災した住民の声が届きにくいという被災地の実情を知ることができた。

●重信川流域における新興住宅地の開発

 2日目は、朝から松山市内から宇和島へと向かった。道中、重信川沿いの新興住宅地を通り、町中を歩いてまわった。町には田んぼとプレハブの住宅がまだらに広がり、3mほどの土手がまっすぐ続いている。越えた先には大きな川が流れている、という水害の脅威を忘れるほど、どこにでもあるような街並みのように感じた。

●みかん農家 中島利昌さん

西日本豪雨災害にあった宇和島市のみかん農家の中島さんにインタビューを行った。

中島さんは2018年の西日本豪雨で所有しているみかん畑を土砂に押し流された経験があり、その後6年経った現在、国と県の補助事業で、被災前とほぼ同じ姿で復旧する「原型復旧」を試みた園地は段々畑に生まれ変わっていた。加えて大規模な造成工事で災害に強く作業効率を高める「再変復旧」も行っており、作業がしやすいように傾斜角度を緩めるなどの工夫も施された園地は被災前とは違った表情になっていたという。

周りのみかん農家や自治体との協力・補助もあり復旧できたという体験談から、災害復旧についての大切な知見が得られたインタビューをさせていただいた。

8か月前